さて、三代目の人生とはどんなものか。

第三代目の人生

 現役を退く時を、定年という。第二の節目である。企業における60歳や65歳の定年年齢に達したからではない。現役を後輩に譲って新たな人生を立ち上げる時である。
 現代は団魂の世代(蛇足ながら団魂の世代と読み間違う人がいる。僕が言うのは「ダンカイノセダイ」であって、いくら僕が男だからといって「ダンコンノセダイ」と読んで欲しくないな)が作り上げたノウハウや継承してもらうべき技能や技術などが引き継げず困っている企業が多い。継承問題は経営者だけの問題ではないことがはっきりした。

 団塊の世代は企業を定年退職した後、大きく二つの流れに分かれる。一つはその企業に残ったり同業他社などに雇われる者たち。もう一つは自分の新たな道を築き上げようとする者たち。この二つの流れができている。
 従来の企業に残る者たちは慣れた職場でその企業の環境の中で与えられた仕事をこなしていく。自分の新たな道を築き上げようとする者たちは、新たな仕事にチャレンジしたり、趣味や希望していたことに集中して過ごしたり、独立自営の道を切り開いたりとさまざまである。
 この人生は生きていく最後の歩みである。「充実の人生」と名付けている。ここでは意識無意識を問わず、実りある人生の集大成となっていく。人生の実りの秋である。 

人生の四季

 人生にも四季があると書いた。第一代目の人生が春を、第二代目の人生が夏を、第三代目の人生が秋を象徴している。しかし、冬は?というと、それは僕たちの死後である。骨になり土に還る時、その人の人生が、たとえ断片的であれ、人の心には思い出として刻まれる。暖炉の前で、あるいは、いろりを囲んで、はたまた炬燵や食卓を囲んでのひと時に、冬の静寂の中で、雪の下を流れる水のように語られるのである。
 その時には話の主人公は生存していない。
 話の中で僕がどう脚色されようと知ったことか。わが人生はまっとうした!という状態で人生の冬を迎えたいと思う。
 三代の人生をいかに生きるか。人生の四季を味わうことのできる人は幸せである。
 To be or no to be. を問題にせず、To be and to be.を僕は強調したい。のんびり行こうよ、長い人生だ。

 さてと、上図の夏の時期の職業や仕事が人生行路を定めることになるだろう。大学生にとって卒業後の進路は在学中に構想を練っておくことである。
 就職活動は三年になってから、などと思わないことだ。大学に入学したら卒業後の自分像を描けるようにしておきたいものである。最も、僕にはその器量はないままに生きてきてしまった。反省!

 続く・・・