人生は曲がりまっすぐだァ!   ――笑いのある暮らしの巻――

怒りはマイナス、笑いはプラス。笑う門には福の神。なんてことを申します。

昔、葛飾北斎という絵描きがおりました。彼が描いた漫画にえびすさんがフグを釣り上げた絵がありましてな、添え書きに「ふくをつる」なんて文句がかいてありました。「ふぐを釣る」を「ふく()を釣る」なんてことにかけた絵ですな。なかなか面白い絵でして、えびすさんの笑顔がこれまた、たまりません。まっことにこやかなえびす顔でした。こういう絵を眺めているといつのまにか心もなごんできますな。

 さて、

 私は今大学で教鞭をとらせて頂いておりますがな、教え子から聞いた話があります。

 ある授業が終わった時のことだそうです。

 「ではこれで今日は終わります。みなさんレポートを必ず出してくださいね」と先生が念を押すと、かの学生が帰り際にこう質問したそうです。

 「先生、今日中ですか?」

 何を勘違いしたかその先生曰く、

 「えっ? いえ、私はまだ準教授ですよ」

 楽しい先生だなあって思いましたね。授業もこういう場面があってもいいな、と思いました。

 

 上の娘が小学校の6年生の梅雨時のことでした。うっとうしい日が続いてなかなか寝付かれない日でしたなあ。彼女に「寝られないなら一つ面白い話でもしてやるよ」ってんでね、話をしてやったんですね。

「昔、といってもお父さんがちょうど君の年頃だったかなあ、一匹の白い犬を飼っていたことがあってね。実は、その犬はね、何と! 尻尾も白かったんだよ! 尾も白い犬の話。面白い話、おわり」ってなことをやったらひとこと「ばか」と言われてしまった記憶があります。

 その娘が、(まだ続きがあるんですよ)、先日、雨の降る晩のことです。もう彼女は中学生になっていますが、「明日も雨かなあ、いやだなあ」なんてことをいいますものですから、「気晴らしになる面白い話をしてやるよ」っていうと「尾の白い犬でしょ」って言われてしまったのです。

 だから「そんなことを言うと、気分を悪くする妖怪にでもとりつかれるぞ」と言い返すと

 「へええ~、妖怪が何かようかい?って来るんだあ」といってにやりとまた笑われた次第でした。

 

末の娘のケース。彼女は4歳。ATM音声案内に反応するのです。処理が終わって、どうもありがとうございました、と音声が流れると、「いいえどういたしまして、こちらこそ」なんてしゃべって、ペコリと一礼すると「さようなら、ごきげんよう」といって母親に手をつながれてそこを離れるのです。後ろで待っているお客様がくすくすにこにこしている。すれ違う時に「お譲ちゃんお利口ね」「かわいいわ」なんて声をかけられようものなら「あら、ありがとうございます。どうぞよろしく」ってなことで応える。また笑いがおこる。こういうことは私がやってもこんなに和やかな笑いが生じることは決してない。と確信するのです。世代の違いはきついなあ、なんて感じながら子供たちが育っていく様を見ながら一抹の寂しさを笑いの中に包み込きたいと思う今日この頃です。


続く・・・

人生は曲がりまっすぐだァ!   ――学力と知恵を使い分けようの巻――

「□□さんの御主人は、○○銀行の頭取になったんですって。東大出身なんですってよ。すごいわねェ」

 「やっぱり出世する人はいい大学を出ているのねェ。うらやましいわ。うちの主人は高卒ですもの」

 「あら、うちもよ。せめて、子供たちはいい大学に入れたいわよね」

 「ほんとにそうだわ。うちの長男は部活に夢中になっていて、ちっとも勉強しないのよ。困ってるの」

 「うちの娘も似たようなものよ。いい大学に行くために有名高校に入れなくちゃ、ね」

すると、ある主婦が会話にはいってきました。

 「ねえ、うちの人も東大を出たわよ」

 「えっ? ウソでしょう? お宅の旦那さんは職人さんなんだから、腕を磨くために若いときから親方に弟子入りしたんじゃなかったの?」

 「でもほんとよ。だって、東大の工事を請け負ったので1年ばかり通っていたわよ」

 「・・・・」

 

こんな会話を耳にしたのは昭和も40年代のことだったと記憶しています。

今では、笑い話になってしまいましたが、当時は真剣に、いい高校からいい大学へ進学していい会社に入社するというコースがベストライフビジョンだと考えられていたのです。

 サラリーマンとなって人生を謳歌すること。それが常識とされていた時代でした。

サラリーマンは、会社という囲いの中にあって自分の人生を託しておけば安泰でした。定年まで職を失うこともほとんど無く、勤続年数とともに収入も増え、会社の指示のままに仕事をしていさえすれば、平穏無事な人生を送れた、そんな時代だったのです。

 

ところが今ではもう、会社が社員のために何とかしてくれる時代では無くなりました。だから、会社に自分の人生を託すなんて間違いなのです。苦労をしても自分の一生は自分の力で創りあげ、本物の幸福を自分の手でつかむ時代なのです。

しかしどうでしょう、昨今は不安と不確実のはざまで、ライフプランがたてられない。それは学生だけではない。在職者にとってもかつてほどの安定と人生謳歌のビジョンは立てられない時代に私たちはいるのです。

「失われた10年」がその意味では大きな節目になったと思います。そしてなかなか経済的な回復ができないまま今日まで来てしまいました。いつしか「失われた20年」になってしまったと嘆く人もいるということです。

東日本大震災や原子力発電所の大事故がさらに生活の不安を醸成してしまいました。私たちは、これからの社会で生きていくためには、従来のような会社をあてにする生き方ではなく、社会協同体としての信頼と価値の創造と自由な仕事の創出による分配が必要になっていくと考えます。現代はその過渡期にあるのだと思います。

自分の人生は自分の手で創る楽しさ喜びを実感できる社会を目指したいものです。


つづく・・・

人生は曲がりまっすぐだァ!   ――ライフキャリアの巻――

今回の東日本大震災でお亡くなりになられた方たちに、心から哀悼に意をささげます。そして、職を失った方たちが一日でも早く仕事を持てるようにお祈り致します。

私の身内とも言える者が南三陸町の小さな集落で被災してしまいました。私たちは、彼らが無事に避難できたのかどうかも分からず、テレビや親戚や知人を頼って情報収集をしながらも、イライラしながらの日々を過ごしていました。やっと連絡できたのが3月15日の22時17分。彼の住宅も経営していた工場も一切が消滅していました。さらに悪いことに津波により身内から2人の死者も出てしまい、私たちも悄然としてしまいました。この集落からの死者は彼の家族だけでした。彼の妻が親せき筋にあたる寝たきり老人を救出に行った際に波に襲われて2人とも亡くなったのでした。遺体の捜索には集落の人が総出で当たったとのことです。

すでに遺体を荼毘にふし、今ではここの住民たちが復興のために動き出しています。現在、家屋を失った方々は、流されなかった山間の住宅に分散して生活をしています。仮設住宅が現在もできるめどがないので、住まいを失った人たちのために、自分たちで仮設住宅を作ろうではないかと動き出した人もでてきたと言います。仕事も自分たちで作り出していこうという気概を示しています。

 

現地のこのエネルギーこそ生きること、人生を良く生きるための希望だ。くじけちゃいけない。あきらめる必要はない。

人間、決心しさえすれば何歳になっても人生を変えることができる。夢を描き目標を持つことができる。もともと人生には解決できそうにないことはつきものなのだ。だからと言って何もしなかったら、そこでおしまい。解決の方法は必ずある。と、前向きに考えながら人生を歩みたい。

こんなことを、被災した彼から教えられました。

 

近年では、高校や大学を出て就職するために、自己分析だ、企業研究だと目くじらを立てる。50社・60社受検してすべて不合格。しょげかえってしまって、もうやめた! とばかりにやけっぱちになって、尻をまくって「人生? 仕事? 働く? 何それ? そんなの関係ねー! 」ってんでアルバイト三昧に流れる。その後数年たって気がつくとフリーターになっていた。という歩み方をする学生を、仕事がら、何人も見てきました。転職が思うようにいかずにフリーターになってしまったと言う人もいました。それでも無業よりいいじゃないかと言う者もいるが、その通りだ。働く場があることは有難い。仕事のあることは幸せである。そう考えて現在学生たちに、EQアップを図りながらキャリアカウンセリングを実施しています。

 

これからは、原子力発電所の事故や地震によるメンタルな面での支援が不可欠になるので、心理カウンセラーの方々の現地での活躍に期待したいと思います。また、笑い療法士の方たちにも支援の力になってほしいものです。笑うことは人間の特権、生活のエネルギーになると考えています。

今年も学卒者の就職は厳しい。私たちの仲間であるキャリアカウンセラーたちにも若者たちの支援だけではなく、被災地の方たちのキャリア支援で活躍をしてほしい昨今です。

 

人生は曲がりまっすぐだァ!   ――コミュニケーションの巻――

昨今の若者はコミュニケーション力が不足している、なんてことを耳にする。

昔、「文通」が若者の間で流行った時期があった。国内だけではなく、海外の友人を作りたくて英語で手紙を書きたいってんで、英語の勉強もするようになった。文通仲間で結婚したカップルも何組か知っている。若者文化の一つであった。しかし、ラブレターについてこんな笑い話も生まれた。

「恋しい恋しいあなた・・・」と書くところを、間違って「変しい変しいあなた・・・」と書いてしまったために、恋にヤブレター、なんてことになった。この話、確か小説の一節だったと思うが、文字によるコミュニケーションの失敗だ。似たようなことが現実にもあったのだろう。

 

今では、メール流行りだ。「文通」から「メール」へと文字を使うコミュニケーションツールが変わった。絵文字なんてものが生まれた。これも書き言葉に違いない。おもしろいものだ、絵文字は何となく雰囲気を感じさせる。現代若者文化の一つだと思う。

 

しかし、このような文字に頼ってしまうと対人コミュニケーションはうまくいかなくなる。

コミュニケーションは言葉のやり取りだけでは不十分であって、身振り手振りが意外と効を奏するからだ。身振り手振りは感情がそのバックボーンにある。

 コミュニケーションにはバーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションがあるが、

社会生活をするうえではノンバーバルコミュニケーションが重要だ。バーバルコミュニケーションとは、ありていにいえば、言語そのものの意味情報、ノンバーバルコミュニケーションはそれ以外の聴覚・視覚情報である。7対93の割合で、話し手の印象を決める。言葉以外の非言語的な要素で印象が決まってしまうという

 

昨今の若者はコミュニケーション力が不足している、と言われるのはきっと、このノンバーバルコミュニケーションの不足なのではないかな? 「文通」も「メール」もバーバルコミュニケーションに近いスキルであるために、感情の交流が少なくなってしまう。感情は「対面状態」の時が一番交流しやすい。にも拘わらず、それが思うようにできないのではないだろうか。

原因はさまざまだろうが、EQバランスが悪いのだ。それを調整すればもっと円滑なコミュニケーションがとれる。

このコラムの一回目に紹介した僕の恋愛遍歴もまた、EQバランスが崩れたままの状態だったわけ。

 

ところで、コミュニケーションと言えば、社会人だけに限らないね。家庭内コミュニケーションもまた悪い。家族の会話がほとんどないようだ。この点から改善する必要があるな。若者だけではない。世慣れた大人たちもこの事については見直したいところだ。誰でもいつでもどこでも改善はできる。やろうと思った時がスタートだ。僕自身も努力している。

円満な人間関係を築くにはEQを基本にしたコミュニケーションスキルを磨くことが大切なことなのだと思う。

人生は曲がりまっすぐだァ!   ――四季を歩く 参の巻――

生を考えるとき、忘れてはならないことがある。人は一人で生きているのではない、が、一人ぼっちでもある。僕はオンリーワンの存在であり、君もだ。僕や君達が集まって、社会をつくっている。その意味では一人では生きていない。ということだ。いつの世も個人と組織の問題はついて回る。

 

 個としての存在は同時に組織の一員としての存在でもある。そのために人は葛藤の種をはらんでいる。

葛藤の最大のものは人間関係だろう。家族、企業、学校、地域社会、官庁、国家等々組織として成立するものには必ず付いて回る。

こんな言葉を思い出す。

 

智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

兎角にこの世は住みにくい。  (夏目漱石「草枕」)  

 

 人間関係の複雑にして難しさを簡潔に言ってのけている。

社会という大きなシステムの中で僕らが生活をしている事実は覆せない。社会は人と人との関わり合いで動いている。人はその関わり合いのなかでルールを作り守り、感情を揺り動かし、考え、判断し、行動している。人が社会の中で成長する所以である。

これからの世界は自律・自立でWIN-WINの関係を築ける人間関係力が必要とされる時代だ。

人間社会で生きていくには時代と社会の要請にこたえられる人生が真の幸福につながるのである。

 

 人生の夏は長く、またもっとも躍動する季節だ。

なぜか?

人間関係に悩み、苦しみ、喜び、楽しみ、そして絶望やら決別やらさまざまな感情の流れが交差し行きかう季節だから。怖いことに、この季節には死を選ぶものが出始めるのである。まばらにではない。他の季節に比べて頻繁に現れるから怖い。特に、人間関係のもつれや悲しみなどから生じる死は、あまりにも悲しいではないか。

 

人との関わり方を工夫し自分の気持ちの持ち方を変えるだけで、こんなことは回避できる。

気持ちを誰かに話してしまうこと、笑ってみること。一緒になって、悲しみやつらさを笑い飛ばしてしまうことができるように付き合える人がそばにいてくれるとどれほど心強いか知れない。

人生まっすぐにはいかないものだ。競争してもせん無いことも多々ある。偶然が襲うことも計画通りに行くこともある。でも、希望を持っていれば必ず希望する方向に歩いて行く道ができる。

僕の前にみちはない。僕の後ろに道ができる。と詩人の高村光太郎が言った。まさしくその通り。過去には望みはない。未来に希望と夢がある。自分を信じることは自分の未来を見つめること。長い人生の夏を試行錯誤しながら進む。これもまた楽しからずや、である。

人生は曲がりまっすぐだァ! - 四季を歩く 弐の巻 -

さて、三代目の人生とはどんなものか。

第三代目の人生

 現役を退く時を、定年という。第二の節目である。企業における60歳や65歳の定年年齢に達したからではない。現役を後輩に譲って新たな人生を立ち上げる時である。
 現代は団魂の世代(蛇足ながら団魂の世代と読み間違う人がいる。僕が言うのは「ダンカイノセダイ」であって、いくら僕が男だからといって「ダンコンノセダイ」と読んで欲しくないな)が作り上げたノウハウや継承してもらうべき技能や技術などが引き継げず困っている企業が多い。継承問題は経営者だけの問題ではないことがはっきりした。

 団塊の世代は企業を定年退職した後、大きく二つの流れに分かれる。一つはその企業に残ったり同業他社などに雇われる者たち。もう一つは自分の新たな道を築き上げようとする者たち。この二つの流れができている。
 従来の企業に残る者たちは慣れた職場でその企業の環境の中で与えられた仕事をこなしていく。自分の新たな道を築き上げようとする者たちは、新たな仕事にチャレンジしたり、趣味や希望していたことに集中して過ごしたり、独立自営の道を切り開いたりとさまざまである。
 この人生は生きていく最後の歩みである。「充実の人生」と名付けている。ここでは意識無意識を問わず、実りある人生の集大成となっていく。人生の実りの秋である。 

人生の四季

 人生にも四季があると書いた。第一代目の人生が春を、第二代目の人生が夏を、第三代目の人生が秋を象徴している。しかし、冬は?というと、それは僕たちの死後である。骨になり土に還る時、その人の人生が、たとえ断片的であれ、人の心には思い出として刻まれる。暖炉の前で、あるいは、いろりを囲んで、はたまた炬燵や食卓を囲んでのひと時に、冬の静寂の中で、雪の下を流れる水のように語られるのである。
 その時には話の主人公は生存していない。
 話の中で僕がどう脚色されようと知ったことか。わが人生はまっとうした!という状態で人生の冬を迎えたいと思う。
 三代の人生をいかに生きるか。人生の四季を味わうことのできる人は幸せである。
 To be or no to be. を問題にせず、To be and to be.を僕は強調したい。のんびり行こうよ、長い人生だ。

 さてと、上図の夏の時期の職業や仕事が人生行路を定めることになるだろう。大学生にとって卒業後の進路は在学中に構想を練っておくことである。
 就職活動は三年になってから、などと思わないことだ。大学に入学したら卒業後の自分像を描けるようにしておきたいものである。最も、僕にはその器量はないままに生きてきてしまった。反省!

 続く・・・

人生は曲がりますっぐだァ! - 四季を歩く 壱の巻 -

日本には四季がある。人生にも四季があるのを知っている? あるんだよ、ちゃんとね。
しかも、僕たちは人生を三代生きることができる。すばらしいじゃないか。
つまりこういうこと。

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 誕生           第一の節目          第二の節目
   
   第一代目の人生        第二代目の人生        第三代目の人生
     
       春              夏                 秋

第一代目の人生
           
 社会人としてジリツするには大きな節目がある。
生まれてから社会人になるまでの人生は、両親をはじめ自分の周囲にいる人たちに囲まれて見守られ世話を受けながらおくる人生だ。言ってみれば、「脛かじり人生」だね。そこから、まるで鳥たちが巣立ちするように、野生の動物たちが親から離れてひとり立ちしていくように、人もまた、「ジリツする人生」という未知の世界に踏み出す。
 この時期は、人として新たなものへ目を向けることに熱心な時期だな。大地から新たな芽が伸びてくるように、養分を吸収し善悪を知り、規律を学び、感情が激しく揺れ動き、人間関係に悩み始める、まさに春の息吹に満ちて花が咲き始めた人生である。乳幼児期から青年期前半にかけてのわくわくする歩みである。人として最も大切にしたい時期だ。
 そして、新たな「ジリツ」世界への不安と期待の混沌とした境界に立つのである。学び舎から社会への新たな道を作り始めるんだな。これが第一代目の人生。

第二代目の人生 
 
  「ジリツの人生」だ。「ジリツ」には二つある。自立と自律である。自立は経済的にも精神的にも親離れして独り立ちすること。自律とは自分を律することであり、社会のルールを守りながら生活すること。
  職業に就いてビジネスの世界で生きる人生を創っていく時期だ。青年期から始まるこの歩みは、新たな世界での人間的な力を発揮しながら生きる歩みだ。人の中で人に学びながら自己の責任において結果を出す世界だ。甘くはないぞ、一人前の人としての力を発揮する時期なのだから。
 特に仕事と人生はこの時期、切り離しては語ることはできない状態にある。この時期は40年以上続く。仕事での失敗も成功もある。プライベートな面での苦労や喜びも多い。夫婦げんかが翌日の仕事に響く、なんて話もこの時期によく出てくる話だ。公私ともに人生で一番輝いている時期である。眩しい光に包まれて、光と影の入り混じる時代の人生。まさに夏のいきいきとした時期のイメージである。この時期が一番社会的に活躍できる。にもかかわらず、失職する人も多い。そこで立ち直るか立ち直れないか、そこに第三代目の人生を左右する要因が潜んでいる。
これが第二代目の人生だ。

続く・・・

 

人生は曲がりまっすぐだァ! -ああ、僕がいて君たちがいる の巻 -

 僕はどうしようもないいたずらっ子の太っちょだったようだ。「ようだ」と書くのは、僕の記憶にはそんなことは一切ないからだ。しかし、周りの大人たちからはそう言われてきた。
 僕が小学校2年生の頃だったと思う。暑い夏の夕方だったのでパンツいっちょになって、母が畑仕事をしているわきで遊んでいた。遊びに飽きてきて、
 「かあちゃん、おれ、どこから生まれたんだ?」と訊くと、
 「神様が贈ってくれたんだよ」と面倒くさそうに言うから
 「うそだい。神様なんかいないんだろう?本当はどこから来たのか知ってるんだ」
 と言いながら、どかっと道端に座った途端にビリッとやってしまった。これで4度目だ。パンツが小さいのだ。兄貴のお下がりだ。お尻からおちんちんのほうにかけてしっかりと破れていた。
 すると、母がくるりと振り向いて
 「またかい!」と言った。
 僕はその時、赤ちゃんは、母のまたから生まれてくるのだと、本当のことを教えてもらった気がした。
それまでは、祖母から教えられていた通り、僕はからす川の橋下の土手から拾われてきた子供だと信じていたから、どの子もみんな近くの川の土手から拾われてくるのだと当たり前に思っていたものだ。おばあちゃん子という者はこんなものなのかなあと漠然と今も思っている。そしてそもそも、これが僕の人生の始まりだった。

 そんな僕も人並みに恋をするようになった。女性に恋焦がれる年ごろには、かつてのいたずら坊主はどこかに消えてしまっていた。言葉もかけられない小心者に変身していたのだ。小学校4年生になって経験した初恋騒ぎ以来、中学時代も高校時代も何人もの女子生徒を恋し、想いを募らせても、言葉に出せずじりじりしながら彼女たちに言い寄りたい気持ちだけが先走る日々を過ごしたものだ。いつしか彼女たちは一人残らず、僕から遠くへ行ってしまっていた。
 大学時代は今までの反動でその道のお姉さん方を相手にしたのはいいが、いいように手玉に取られてしまった。身も心も金もスッカラカンのからっけつになってしまって仲間や友のアパートでしばらく居候を決め込んだりもした。学生運動にも巻き込まれもした。
 失恋と言うか破恋と言うか、はたまた爆恋と言ってもいいのかもしれないが、長い遍歴の間にたくさんの友や仲間ができた。今では、彼らが心の財産になっている。彼らに活かされていると言ってもいいくらいだ。だから、大学も無事に卒業できて、企業に勤めることもできて、家庭も持てたのだ。幸せとはこういうことなのだと思っている。
 思えば、僕が生まれてきたからたくさんの友や仲間ができたことになる。家族以上に心の交流のある連中だ。
 生まれてこなかったなら・・・そう思うと怖くなる。だからこんな人生に僕は感謝する。
 もしも、「私なんか生まれてこなければよかったのだ」と思う者がいるなら、馬鹿野郎!と思いっきりぶん殴ってやろうじゃないか。ただ生きるよりも仲間の大切さを知ることが重要なのだ。
 ああ、僕がいて君たちがいる幸せ、それこそ僕は幸福者ではないか。

 続く・・・

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